3人のレンガ積みの男。成績が伸びないのは最初の男。そして、勉強ができない子も。
仕事の取り組み方と勉強の取り組み方は似ています。そんな話です。
3人のレンガ積みの男
世界中をまわっている旅人が、ある町外れの一本道を歩いていると、
1人の男が道の脇で難しい顔をしてレンガを積んでいた。旅人はその男のそばに立ち止まって、
「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねた。「何って、見ればわかるだろう。レンガ積みに決まっているだろ。
朝から晩まで、俺はここでレンガを積まなきゃいけないのさ。
あんた達にはわからないだろうけど、暑い日も寒い日も、
風の強い日も、日がな一日レンガ積みさ。
腰は痛くなるし、手はこのとおり」男は自らのひび割れた汚れた両手を差し出して見せた。
「なんで、こんなことばかりしなければならないのか、
まったくついてないね。
もっと気楽にやっている奴らがいっぱいいるというのに・・・」旅人は、その男に慰めの言葉を残して、歩き続けた。
もう少し歩くと、一生懸命レンガを積んでいる別の男に出会った。
先ほどの男のように、辛そうには見えなかった。旅人は尋ねた。
「ここでいったい何をしているのですか?」「俺はね、ここで大きな壁を作っているんだよ。これが俺の仕事でね」
「大変ですね」
旅人はいたわりの言葉をかけた。「なんてことはないよ。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。
ここでは、家族を養っていく仕事を見つけるのが大変なんだ。
俺なんて、ここでこうやって仕事があるから家族全員が食べていくことに困らない。
大変だなんていっていたら、バチがあたるよ」旅人は、男に励ましの言葉を残して、あるき続けた。
また、もう少し歩くと、別の男が活き活きと楽しそうにレンガを積んでいるのに出くわした。
「ここでいったい何をしているのですか?」
旅人は興味深く尋ねた。「ああ、俺たちのことかい?
俺たちは、歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ!」「大変ですね」
旅人はいたわりの言葉をかけた。「とんでもない。ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うんだぜ!
素晴らしいだろう!」旅人は、その男にお礼の言葉を残して、また元気いっぱいに歩き続けた。
何のために学んでいるのか?何を学んでいるのか?意識させること
このお話はイソップ寓話と言われてますが、実際はある校長の創作らしいです。ですがこの話は勉強に関しても大きな示唆を含んでいます。
というのは勉強も似たようなとらえ方でやっている子が多いからです。実際に成績の伸びない子というのはやっていることを「作業」と捉えて行っています。
作業ですからその部分だけは分かります。が、何のためにそれをやっているのかわからないのです。また、全体を通して「何をやっているのか?」がわからないのです。
社会がいい例です。社会を単純に暗記科目としてしまうと、あまり面白くないです。歴史などで単純に年号だけや人物名を覚えるだけ、となってしまうと本当に作業になってしまいます。
中には「考えなくていいから好き」という子も最終的に勉強が理解できなくなるので、後々大変になります。よくする例ですが、「794年に平安京に遷都」という中学受験でも高校受験でもよく出てくる内容があります。
これは、平安京に都を移した話です。これを単純に事実だけを覚えてしまうと「794年(なくよ)うぐいす平安京」というふうな覚え方になります。
もちろん覚えるだけだったらこれでも問題は無いです。ただ理由は分からないです。「なぜわざわざ遷都しないといけなかったのか?」ということがわからないのです。
全ての勉強に対してなぜそうでなければいけないのかという風に考えるとかなり理解が深まって忘れ難いのです。忘れやすい子というのはどうなってんのかと言うと単純に記号で覚えたり、意味のない言葉として、単純暗記で覚えてるだけなんですね 。
それを「社会の流れ」や「理由」を考えていくと内容に対して理解が深まるのです。そして、この考え方が仕事につながるのです。
仕事も理由や流れを理解すると「作業」から「仕事」に変わる
これからは勉強でも仕事でも「全体ではどうなのか?」「なぜこれをするのか?」を理解していくとやることに意味が違ってきます。