先生は教えられない。体育の先生は体育を。理科の先生は理科を。その理由はこちら
以前に書いた内容を加筆・修正しています。
先生「これはこうだね。わかるよ【ね】」
私 「は、はい」先生「だからこうなって、こんな風に解くとこうなる。わかる【ね】」
私 「あっ、は、はい」先生「だから。こうなる」
私 「・・・は、はい」先生「できたでしょ」
私 「は・・・い」先生「じゃ、がんばって」
先生は教えられない
さて、今回の話は「先生は教えられない」という話です。実は「高校の先生は教えられない」という話をしますね。
「先生叩きか?」と思われるかも知れませんが、中には「教えられる先生」もいるので「一般的な話」です。
冒頭の会話は私の高校のときの話です。数2Bがわからなくて、職員室まで担当の先生に聞きに行ったときのことです。
先生は優しい先生でした。決して怖い先生ではなく、比較的わかりやすい説明だったと思います。
私 「先生、この問題がわからないのですが」
先生「どれどれ、あっこれか?ちょっと待ってね」(先生が解いている)
先生「これはこうだね。わかるよ【ね】」
私 「は、はい」
(本当はわからない)先生「だからこうなって、こんな風に解くとこうなる。わかる【ね】」
私 「あっ、は、はい」
(全然わかっていない)先生「だから。こうなる【ね】」
私 「・・・は、はい」
(返事だけは一人前)先生「できたでしょ」
私 「は・・・い」
(早く帰りたい)先生「じゃ、がんばって」
私 「はい」
(ほっとした)
聞きに行ったらこんな感じでした。結局、「全くわからないまま」教室に戻りました。
「何でわからないって言わないの?」
と思われるかも知れません。実は、先生の
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「これくらいわかるよねオーラ」
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に圧倒されたからです。
「・・・・ね(当然わかるよね)」
「・・・・ね(できて当然ね)」
これを言われると正直辛い。
体育の先生は体育を、理科の先生は理科が教えられない
このことは他の人もこんな風に言っていました。
「体育の先生は体育を教えられない」
「理科の先生は理科を教えられない」
と。どういうことかというと
「体育の先生は元々体育が得意な子が体育の先生になる。だから、体育の出来ない子がなぜできないのか?どこができないのか?かがわからない」
同様に
「理科の先生は元々理科が得意な子が理科を教えているので、どこがわからないのか、わからない」
のです。でも、体育の先生がもし理科が苦手だったら、理科の苦手な子の気持ちはわかるので、教えられるかもしれないのです。
パソコンで同じです。
実は今使っている無料通話ソフトZOOMを使っていますが、最初にうまくいかないと「ラッキー」と思います。
というのは「つまずくところがわかるから」です。「つまずいたり、失敗したり」すると、最初に導入するときに相手がつまずくと「あっ、それはですね」とすぐにアドバイスができます。
ですが、あまりにスムーズにいくと「相手がトラブルになったときにこちらで対処できない」からです。
こんな風に考えると「教えてもらえる先生は大事」です。特に難しい勉強をするときは
「元々できなくてできるようになった先生」
だと「出来ないところがわかる」のでアドイスも的確です。
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