自〇も考えた受験。学年最下位からどうやって合格までもっていったのか?
夏休みも半分を切りました。普段はできるだけ私の昔の話をしません。なぜなら、昔話をするのは年寄りだから。
過去を語らない理由
私は未来のことしか考えていないので、「昔はこんなだった」なんて言いません。過去を語っても相手の成長にはつながらないからです。ただ、あなたのお子さんの少しでもお役に立てればと思い、私の高3のときの受験体験を書きますね。
塾に通わず、家庭教師も通わず。通信講座だけの受験勉強の話です。
出された条件
私が高校3年生のときすごく追い詰められていました。高校に入学したときは
「大学に進学したい」
と希望を述べたとき母が出した答えは次の条件だったのです。そのたった2つの条件は
「国公立大学」
「現役合格のみ」
高校に合格したとき私の成績は360人中丁度180番目。
丁度まん中です。通っている高校から国公立大学に合格しているのが当時で
「50人~60人」
私は成績ではあと130人上にいかないと国立大学にはいけません。そのためコツコツと地道に勉強して少しずつ順位を上げていきました。
高校1年のときは校内偏差値は 50
高校2年のときは校内偏差値は 51
「部活」「勉強」「空手」の3つをやっていたのでその両立するのに悩んで悩んで、高2の春に決めたのでした。高2の冬で部活を辞めると。
そして、それまでは部活を真面目に参加した。本当に休むことなく参加。
部活を辞める
高2の冬休み前。部活の顧問の先生に
「部活を辞めます」
と伝えました。先生からは
「勉強するのか?」
「はい」
と。先生からは一言。
「そうか。がんばれ」
と。その後は帰宅後寝るまでずっと勉強。1日6コマずつ勉強していきました。
高3の夏休みには1日10時間以上自宅で1人で勉強をしていきました。家にはクーラーがないので昼の暑い時間帯は「水風呂」でごまかしました。
そのためか、夏休み明けの模試。成績も順調よく伸びて「国立大学合格圏内」に入リました。そして、
「これから志望校までさらにダッシュだ」
と思っていました。しかし、そううまくはいかなかったのです。
ナイアガラの滝のように落ちる成績
当時体育委員の委員長をする者がなく、体育委員長がいなければ
「高校始まって以来の体育祭中止」
という話が出て問題に。当時の生徒会長から
「頼む。このままで始まって以来体育祭が中止になる」
ということでしぶしぶ委員長に就任しまたした。そこからが「地獄」がはじまりました。体育祭や球技大会の準備で帰宅するのが
「毎日9時過ぎ」
当時は空手も一時中断して勉強に専念していたのに勉強時間は減る一方です。当然模試の偏差値は
「ナイアガラの滝」
のように落ちました。当時の模試の結果を見ると
「偏差値15下がり」
夏休みの努力が「ゼロ」どころかマイナスに。当然です。毎日10時間以上自宅で勉強していたのが、1日2時間に減ってしまったのですから。
当然合否の判定は「国立大学オールE」です。そして、極めつけは
「2年間勉強した化学が22点で受験者校内順位177人中177位」
模試の結果が返ってきたときは11月。他の科目は一切勉強しないで化学のみを勉強して2週間やりました。それでも「全くわからない」のです。
「このままでは絶対に合格しない」
ある日の夜、2階のベランダに出て、ベランダと屋根の高さを測っていました。
ここで紐をくくったら・・・「首をくくって・・」とそう真剣に考えていました。
その後の人生ではもっと大変な目に遭っていますが、それでも当時は合格がすべてと思っていました。ギリギリなのにすべり止めもありません。
勉強しても結果が出ない。
進路は決まらない。
誰にも相談できない。
でも「死ぬ覚悟」が決まったら逆に気持ちが楽になりました。
「ギリギリまでやるだけのことはやろう」
そう決心しました。それでも「化学」はわからないままです。センター試験(当時は共通一次試験)ギリギリまでやりました。
「どうせいろいろやってもムダ」
とわかっていたので進研ゼミの共通一次対策模試を何度も何度も繰り返して解説はにはマーカーを塗って覚えました。
学校が終わって冬休みに入ってからは1日13時間。そして、「生物」の全体像がわかったのは「入試1週間前」。
超苦手な「化学」は「入試前々日」に「何とかわかった」と・・・。そして、入試当日。
入試当日の結果は?
「国語は8割、倫理社会8割 数学6割5分」
と。そして、翌日の試験では苦手で科目の化学でミス。約20点をマークに記述漏れしてしまいました。
それでも66点。何とか得点できました。マークミスがなければ8割に。共通一次試験では「なんとか国立大学に入れる点数」が取れました。
でも首の皮は1枚でつないだ。でも。
その後は「燃え尽き症候群」に。勉強しようにもやる気が出ない。勉強しないと二次試験があるのにどうしてもやる気がでない。
「ようし」
と理容店に1人で向かいました。
「丸坊主にしてください」
と。頭を坊主頭にして心機一転。帰宅後、頭を見た母は
「えー。もうそういうこと辞めてよ」
と。久しぶりの学校でも
「キャー」「えー」
と女生徒からの歓声が。
「何で?何で?」
と質問。坊主頭で少しは気合いが入りました。そして、二次試験。二次試験は「小論文」「英語」
二次試験でミス
二次試験でも失敗。200点満点で配点20点のところを白紙。二次試験終了後。一緒についてきた父を前に首をかしげる私。それを見て父は「不合格を確信」したのだと思います。
そして、合格発表日。実家から遠いので業者に頼んでいた電報は来ない。昼が過ぎても来ないので思わず業者に電話。
母と祖母の見守る中電話に
「あの電報が来ないのですが・・」
「失礼は受験番号は?」
「××××です」
「・・・・」
沈黙が続く。
「おめでとうございます。合格しています」
と。私がぽつりと電話口で
「合格しているって」
と。母は
「うそでしょ。うそでしょ」
と祖母と2人で大泣き。多分父から
「二次試験のできが悪いようだった」
感じから不合格と思っていたのだろうと思います。
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入試は最後の最後までわからない。
最後まで粘れ。受験生。
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