今日は兄の命日。そこで改めて考えてみました。私のこれからの生き方。
今日は兄の月命日でした。それで墓参りをしてきました。その中での感想です。
兄かせ死んでから考えたこと
私が兄を亡くしましたから17年が経とうしています。それから、私の人生は一変したと言っても過言ではありません。
それまではなんとか自分の塾を軌道に乗せることに必死でやってきました。もちろん、今でもやっていますが、中身は大きく変わってきてます。
それが何かと言うと「私が死んだ後に何が残せるのか?」というテーマに変わったことです。
自分のところだけで言うと塾は順調です。自分の家族だけで塾をやって行くのであれば十分やっていきます。
ですが、今は苦しい中も必死で生徒を増やしたり、先生を増やしたりしています。それは仕事を先生に回したり、生徒の集めたり、人のサポートをしたりしているからです。
その最終目標は「1人1人の人生の最適化」です。私の兄は11月5日に亡くなりました。その年の4月にはこんなことを言っていました。ちょうど病院近くの桜の木下です。
「結婚をしたかった。子どもも欲しかった。もっともっと生きたかった」
と。そう言って亡くなっていきました。当時は「来年の桜の花が見られたらいいな」と言いながら桜の花を眺めていました。
人はいろいろな人生があります。年収が高い人もいれば、低い人もいます。どれがいいとか悪いとかではなく、その人がどういう風に生きたいのかによると思います。
年収が高くなくても質素な生活をして生活が十分やって幸せを感じている人もいます。また逆に年収が高くても人生に不満を抱えてる人もいます。
人それぞれです。ですが1人1人自分にとって最高を目指すのではなく、自分にとって最適な人生を歩めばいいのです。それは自分の子どもたちもそうです。
子どもの目指すのは人生の最適化
ずっと勉強を指導していると勉強に向いてない子も中にはいます。同じだけ努力をしても結果が出ないということもあります。ですが、その子に絵を描かせたり、走らせたりするとすごく結果が出せる子もいます。
人というのは人によってカラーが違うのです。そういった中で人生を生きていけばいいと思います。その人の持った特性を生かしながら、満足していきていける人生を。
そして、死ぬときに「生きててよかった」と思ってもらえるようこれからもやっていきたいと思います。まずは、そのための仕組みづくりです。
墓参りをして改めてそう感じました。